栄光堂ホールディングスの歴史History

1877~1933

駄菓子屋さんから製菓会社設立へ

1877年、岐阜県大垣市俵町にて、鈴木亀三郎が製菓業を創業したことが鈴木栄光堂(現:栄光堂ホールディングス)の始まりです。
1912年に現在の社屋が建てられ、この当時では珍しいゼリーの製造を開始しました。
1933年には二代目鈴木傳七が会社を設立。本格的なお菓子作りへと乗り出しました。

1935~1970

ゼリコ飴の誕生と世界進出へ

1935年、初期の鈴木栄光堂を支えたゼリコ飴の製造が始まりました。おもちゃ付きのキャラメルは、当時の子供たちに親しまれました。
1939年にはイチゴゼリーをハワイに輸出するなど、いち早く海外進出を果たしました。
さらに1960年には、長年の菓子産業への貢献が認められ、初代社長鈴木傳七が第16回全国菓子大博覧会名誉総裁賞を受賞するなど、菓子業界での基盤が作られました。

1970~2008

時代の変化による混迷期へ

順調に成長を続けた鈴木栄光堂ですが、戦後の高度成長期から平成にかけて、苦しい時代に突入します。
多くの同業他社の台頭、働き手の東京進出の打撃を受けて、一時は社員数が5名になるなど苦しい状況が続きました。そんな中でも人々を楽しませたいという信念は変わらず、ぬいぐるみやおもちゃを輸入するなど色々なチャレンジをしながら、会社を存続させて行きました。

2008~2019

骨太な経営戦略でニッチトップへ

2008年社長に就任した鈴木伝の下、アミューズメント施設向けの菓子卸売事業の積極展開や、新ブランドの立上げ、オリジナル商品が作れるOEM事業、オンラインショップの開設、海外拠点の設立、積極的なM&Aなどに乗り出し、アミューズメント施設向け菓子卸事業と海外向け輸出事業では国内トップシェアを占めるまでになりました。他とはちがう、面白いことをやろうという精神で事業が拡大されて行きました。

2020~

新たな取り組みでさらなる成長へ

鈴木栄光堂が持ち続けた想いを、「お菓子は、お腹よりこころを満たすもの」というスローガンに掲げ、この理念を体現するべく「いとおかし」というブランドを立ち上げました。自社商品の研究・開発をする「いとおかし工房」の設立、今まで販売していた商品のリブランディング、EC事業部の立ち上げなど、新たな時代に向けた準備を整えました。鈴木栄光堂のさらなる挑戦は続きます。

いとおかしについて
2023~

成長事業のさらなる発展を目指して

AM事業部を「栄光堂AM株式会社」に、製造事業部を「栄光堂ファクトリー株式会社」に、海外一般G事業部を「栄光堂商事株式会社」に会社分割・持株会社へ移行し、商号を「栄光堂ホールディングス株式会社」に変更。
これらの各成長事業を、さらに拡大・発展させるため、時代にあわせてスピーディーに変化できる体制を目指します。

沿革

1877年
大垣市俵町にて鈴木亀三郎が製菓業を創業
1912年
現社屋建築。ゼリーの製造を開始
1933年
二代目鈴木傳七が鈴木栄光堂を設立、初代社長就任。資本金5万円
1935年
新館増設。ゼリコ飴製造
1939年
イチゴゼリーをハワイへ輸出
1948年
初代社長鈴木傳七が大垣商工会議所副会頭就任
1960年
初代社長鈴木傳七が永年にわたる菓子産業振興への功労を評価され第16回全国菓子大博覧会名誉総裁賞を受賞
1971年
ぬいぐるみ、おもちゃ等の輸入を開始
1976年
四代目鈴木清次郎が社長就任
2004年
大垣市浅草に大垣工場を新築
2006年
ISO9000認証取得
2008年
ISO14001認証取得
2008年
五代目鈴木伝が社長就任
2008年
イーグル製菓株式会社を子会社化
2009年
養老物流センター新築
2011年
栄光堂(上海)食品有限公司設立(資本金200万元)
2014年
三重県伊賀市にゼリー工場を新設
2014年
EIKODO VIETNAM CO,.LTD 設立(資本金235万USD)
2015年
シャンボール株式会社を子会社化
2016年
株式会社東京どりいむを子会社化
2017年
株式会社千秋庵総本家を子会社化
2018年
鈴木栄光堂 東京営業所と東京どりいむ本社を東京北青山新事務所に移転
2019年
鈴木伝が代表取締役CEO、林尚路が代表取締役COO就任
2020年
シャンボール製造部門を鈴木栄光堂 製造部門に統合
2020年
EC事業部発足
2020年
大垣工場内に商品開発ラボ「いとおかし工房」を開設
2020年
ファミール製菓株式会社を子会社化
2021年
イーグル製菓株式会社を吸収合併
2022年
株式会社松月堂を子会社化
2023年
事業の一部を会社分割・持株会社化
商号を「栄光堂ホールディングス株式会社」へ変更